鹿児島にて Vol.1
Posted on 2013.04.11 Thu 13:00:32 edit
鹿児島の朝。

私の住む町とは気温が随分違い、半袖で十分と言う暑さ。
刀をお納めするまで少し時間がありましたので、西郷隆盛のゆかりの地を訪ねました。

私が滞在していてホテルからほど近い場所に、西郷隆盛の終焉の地がありました。
「『晋どん、もうここらでよか』と東を向き、皇居に伏し拝む西郷に別所晋介の介錯の太刀が振り下ろされました。」
「政府軍の総司令 山縣有朋中将は、『翁はまことの天下の豪傑だった。残念なのは翁をここまで追い込んだ時の流れだ。』と語り、いつまでも黙祷したと言うことです。」(西郷隆盛終焉の地、設置のパネルより)
胸が熱くなりました。

西南戦争時の弾痕跡。

私学校跡。

「敬天愛人」は西郷隆盛が座右の銘とした言葉です。
以前ブログでも紹介させていただきました太刀(平成23年 新作名刀展出品刀)にも、ご依頼主様の座右の銘としてこの言葉を刻みました。
その言葉の通りの西郷隆盛の生き様と、鹿児島から感じる「熱さ」や「優しさ」が重なって見えました。
(私の勝手な解釈をお許し下さい。)

私の住む町とは気温が随分違い、半袖で十分と言う暑さ。
刀をお納めするまで少し時間がありましたので、西郷隆盛のゆかりの地を訪ねました。

私が滞在していてホテルからほど近い場所に、西郷隆盛の終焉の地がありました。
「『晋どん、もうここらでよか』と東を向き、皇居に伏し拝む西郷に別所晋介の介錯の太刀が振り下ろされました。」
「政府軍の総司令 山縣有朋中将は、『翁はまことの天下の豪傑だった。残念なのは翁をここまで追い込んだ時の流れだ。』と語り、いつまでも黙祷したと言うことです。」(西郷隆盛終焉の地、設置のパネルより)
胸が熱くなりました。

西南戦争時の弾痕跡。

私学校跡。

「敬天愛人」は西郷隆盛が座右の銘とした言葉です。
以前ブログでも紹介させていただきました太刀(平成23年 新作名刀展出品刀)にも、ご依頼主様の座右の銘としてこの言葉を刻みました。
その言葉の通りの西郷隆盛の生き様と、鹿児島から感じる「熱さ」や「優しさ」が重なって見えました。
(私の勝手な解釈をお許し下さい。)
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